Naomi's Blog

フランス在住20年、自分らしく、日々ワクワク過ごしたい貴方へ、欧州文化や生活情報を中心に役立つ情報をお届けします。

過労死しかけた私。

迷いと決断、私にとっての人生一大事の決断は、日本を旅立って、パリに来た事だ。

私の人生を変える、人生最大の決断だったし、決断するまでは、もちろん大きな迷いと何年も戦った。

もう、15年前の話だ。

当時の私は20代、キャリア一筋で、若いのに大抜擢された。

世界最大の一流ラグジュアリーグループに、東京の業界一番の老舗ブランドに、ヘッドハンティングされた。

大手外資系化粧品のPRという仕事柄、表面的には、きらきら華やかに見えただろうと思う。

しかし、実際には、縁の下の力持ちで、PRという仕事柄は華やかに見える反面、朝早く、夜も夜中までどころか、早朝までという場合も多く、体力的にもきつかった。

自分のプライベートを多々犠牲にしなければならない職業であった。

同じグループ企業の、別の世界1,2を争う上階にいた別ブランドの同僚は、仕事を人生の優先にした結果、バーンアウト(燃え尽き症候群)に陥って、同じビルから飛び降り自殺したと聞いて、夜の残業が怖かった。

今の”ゆとり”世代からは、考えられない仕事ぶりであった。

彼氏なんて出来ても会う時間がなくて、失恋したり。

ストレスで、生理も止まった。

産婦人科には、子供が出来ないだろうと言われた。

でもそんな事は、誰も知らなかった。

業界では、やり手の〇〇さんという事でどんどん出世の階段を登っていたが、

実際はプライベートでは、ボロボロだったが、誰も知らなかった。

疲れすぎて、日に日に体調が悪くなっていった。

医師からは、原因不明の病気、ストレスではないか、と言われたが、

当時は、バーンアウト(燃え尽き症候群)という病名は、まだ誰も知らなかった。

自分の人生が一生仕事だけで、終わってしまうなんて、考えるだけでも、虚しくなった。

結婚もせず、子供も産めず、いくら仕事をしても、良い給料をもらっていても、

そのお金を使う暇もなく、休みもとれなくて、一緒に旅行にでもいく彼氏すら、楽しい時をシェアできる愛する相手さえいない人生なんて。

一体なんのための人生なんだろうかと、虚しくなった。一生懸命働きまくって、最後には、一人っ子の私は、両親の介護で終わるのだろうか、と虚しくなった。

長く生きていてもしょうがないと思い始めてきた。

そんな私を見かねて、母が「お休みもらえないなら、もう会社辞めて、少し休んだら?」と言って来た。

私は、そんな母をたしなめるように、「プライベート犠牲にして、ここまで頑張ってきたんだから、ここまでやっと登れたのに、このポジションを捨てるなんて、人生棒にふっちゃうのと同じだよ!!」と叫んだ。

でも、日に日に体調は悪くなっていき、言いたいことを言えない不自由で声が出ないくらい喉が定期的に腫れ始め、その周期はどんどん短くなり、病気の期間が長くなっていったが、仕事は休めなかった。

我慢ばかり、そして寝不足で、激ヤセ、疲れすぎて、涙が出た、起きるのが億劫すぎて、もう頑張り続けられない。

こんなに結果出しても、プライベート犠牲にして、いくら頑張っても、給与が上がるどころか、来年の目標は更に高くなる。

結果を出せば、結果を出すほど、翌年の仕事の達成目標が更に高く設定され、自分が頑張れば頑張るほど、結果を出せば出すほど、自分の首を締める結果となった。

 

母はしつこく、毎日のように、心配して、「このままでは過労で死ぬから、もう仕事辞めなさい、としつこく言い始めた。」

でもここで辞めるなんて考えられなかった。

結局体調のあまりの悪さも有り、仕事を続けられなくなり、母の言う通り、30前だけど、今なら、キャリアも恋愛も、初めての一人暮らしも、人生の全ての初挑戦をゼロからやり直す体力も気力もあるかも、と自分を信じたくなった。

成功してもしなくても、自分の選択を一生後悔したくないし、全責任は自分にあるのだと知っていた。(もちろん母や親友以外の周囲は皆反対した、勿体無い~、もう30になるのに?等と、決断をゆるがす人が多く、応援してくれた人は少なかった。)

”もう成功するまで、(経済的にも)一時帰国であっても、日本に戻ってこれない”プレッシャー”を自分にかけながら、会社を辞めて日本を去った。

あれから何度か後悔した時期もあったけど、15年たった今は、やっと、この決断をして後悔してないとはっきり断言できる。

あれから、恋愛もキャリアも、紆余曲折色々あったけど、ソウルメイトと出会い、結婚して、なんと生まれないはずの、子供も出来た。

仕事も、あんなに上り詰めたのに、フランスでは、又ゼロから始めなければならなかった。

下積みも長くて、正直キャリアに関しては、何度か後悔しそうになった事もある。

あのまま、順調に登っていれば、と思いを馳せることもあった。

でも、色々な経験を経て、何とか自分の会社を立て、クライアント様のお蔭で、生計もたつようになり、現在に至る。

 下積みの大変だった時期の話は、(また今度じっくり書くために)省いてしまったが、私が今の若い人達、又は若くない人達にも、一番言いたいことは、

周囲のノイズよりも、自分の心の声をひたすら信じて、聞くこと。

私は決断までに、特に大きな決断のときはかなりの時間をかける。

その事を考えると、わくわくするかどうか、つまり心の中がくすぐったくなるような、

 感触があるかどうか、がサインである。

周囲は、常識的な悲観的な事例を沢山並べるかもしれない。

でも自分の心がわくわくするなら、コネがなくても、誰も知らなくても、異国でも、なんとか乗り越えていく力があるという事で、実際、万事最奥が馬のように、なんとかなっていくものだと実感しまくった。

だから、自分が少しでもやりたいと思ったことは、無理だという周囲のノイズを聞き入れず、迷いを振りはらって、決断してみても良いと思う。

勇気がいるが、十数年後に、振り返った時に、あの時、周囲のノイズ(参考程度に聞く)ばかり受け入れずに、こうすれば良かった、という後悔は一切なくなる。

自分で自分の人生を創っていく、決断、自分の人生の選択は、尊いものだ。

自分を大切にして、いくつになっても、自分の心の声をきいて、わくわくに導かれながら、やりたかった事が残ってる限り、挑戦し続けたいと思う。

これを書きながら、自分の心の声の喜びを感じた、迷いと決断を書く機会を下さった、”りっすん”さんにも、心を込めて、パリから、ありがとうと言いたい!

 

#「迷い」と「決断」

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